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大阪高等裁判所 昭和39年(ツ)33号 判決 1965年3月15日

上告人 藤井澄子

右訴訟代理人弁護士 佐野正秋

同 香川文雄

被上告人 木下正竜

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告理由第一点について。

上告人は、被上告人に対し本件建物の明渡を求めるについて、当事者間に成立した調停は明渡を二年間猶予したものである。仮りにそうでないとしても、期間を二年間とする一時使用のための賃貸借である。仮りに右賃貸借に借家法の適用があるものとしても、上告人は昭和三二年七月九日被上告人に到達した書面により、右賃貸借契約の更新拒絶と解約申入との意思表示を兼ねてした。仮りに右主張が理由がないとしても、上告人は昭和三五年六月七日の第一審口頭弁論期日において右賃貸借契約解約申入をしたと主張したものであることは、上告人の訴状、第一審提出の昭和三五年五月二五日附準備書面、第二審提出の昭和三七年四月二八日附準備書面の各記載、昭和三八年一〇月二三日の原審口頭弁論期日において、上告人が「昭和三五年五月二五日附準備書面を同年六月七日に陳述したことにより賃貸借契約解約申入の意思表示をしたものである。」旨陳述したこと、その他の本件記録により明白であって、本件訴状の送達をもって明示的な解約申入があったものと認めることはできないばかりでなく、本件記録にあらわれた前示の訴訟の経過に徴すると、黙示的な解約申入があったものと認めることもできない。上告人は第一審においては昭和三二年七月九日被上告人に到達した書面により、更新拒絶の意思表示をしたと主張していたものであるから、上告人が訴状に更新拒絶の事由として上告人が自ら本件建物を使用する計画があると記載しているのは当然であって、この記載があるからといって訴状の送達をもって黙示的な解約申入があったものと認めなければならないものではない。論旨は採用できない。

上告理由第二点一、二について。

原判決がその確定した事実関係に基づいて、上告人の賃貸借契約解約申入は正当の事由がないとした判断は、首肯することができる。所論のように、本件建物は早晩腐朽を免れず、地下室があるため隣家である上告人居住の建物の保存のうえにも極めて有害危険であるとの事実は、原判決の認定しなかったところであり、このように認定しなかったことをもって経験法則に反するものということはできない。

原判決が本件建物の存在が、土地利用上適当でないとの理由のみで、賃貸借契約の解約申入をすることはできないと判断したのは正当であって、商店街にある相当古い建物であるというだけで、これを取りこわして新築するため解約の申入をすることが、常に正当の事由あるものということはできない。

本件建物が早晩腐朽を免れないものであることは、前示のとおり原判決の認定しなかったところであるから、被上告人が極めて近い将来に本件賃借権が消滅することを予測することができたということはできない。

原判決は、被上告人は昭和二八年一二月頃本件建物に入居して以来飲食店営業を続け、解約申入のあった昭和三五年六月当時には、ようやく相当の顧客もでき、安定した営業をすることができる程度にまで達していたこと、本件建物について屋根瓦を全部修繕し、床下にコンクリートを張る等、相当額の出費をしていることなどの事情から、被上告人が本件建物に代る家屋を探して移転し、新たに営業を始めることは、極めて困難であるとともに、不利益であることを認定したものであって、右認定は肯認することができる。右のように他に移転することが極めて困難である以上、他に移転先を求めるため努力を払ったことを必要とするものではない。

被上告人の営業がいわゆるホルモン焼屋であり、流し客を相手とし、季節的な好況不況があるとしても、原判決の前示認定が経験法則に反するものではない。

被上告人の出費が造作買取請求権、必要費、有益費として将来上告人から支払を受けることができるとしても、被上告人が本件建物から他に移転することを不利益とする事情の一として被上告人が本件建物に相当の出費をしている事実を挙げることを妨げるものではない。原判決には借家法第一条の二の解釈を誤ったり、経験法則に違背したりしたような違法はない。

上告理由第二点三、について。

原判決は、上告人の金三〇万円の移転料支払の申出は、判示のような諸般の事情から被上告人が本件建物に代る家屋を探して移転し、新たに営業を始めることは、極めて困難であるとともに、不利益であること、上告人が原審最終口頭弁論期日に至って初めて一方的に定めた金額を申し出たこと、右金額では他に適当な店舗兼住宅を入手する可能性は認められず、解約申入についての正当事由を補強するに足りないと判断したものであって、右判断は首肯することができる。

原判決が本件建物の規模構造、被上告人の営業の安定したことを判断の資料としたことは判文上明らかであって、被上告人の営業上の収益を具体的に認定することを要するものではない。原判決が上告人の金三〇万円の移転料支払の申出をもって解約申入についての正当事由を補強するに足りないと判断したことをもって原判決に借家法第一条の二の解釈を誤った法令違背があるとする所論は採用できない。

上告理由第二点四、について。

原判決は、上告人が昭和三八年一〇月二三日の原審口頭弁論期日において、被上告人に対し明渡期限の猶予と移転料支払とを申し出て新たな解約申入をしたものと認めたものである。ところで、上告人の明渡期限の猶予の申出というのは、解約申入についての正当事由を認めるべき事情として主張するものであるから、解約申入の効力が生ずる以前においては契約終了による明渡の問題は起らず、したがって厳格な意味では明渡期限の猶予ということはない。上告人の期限猶予の申出も考慮に加えて将来解約の申入が効力を生じた場合には、明渡期限を猶予すべきことを予め承諾するとの申出にすぎない。ここまでについての原判決の判示は正当である。ところが、原判決は進んで、右申出の趣旨が借家法所定の解約申入期間を延長することにより同法所定の正当事由を軽減しようとするものであるとすれば、借家法はそのような事態を予想していないのであり、解約申入期間を延長する点はともかく、解約申入についての正当事由を同法の予想しているそれよりも軽減する結果となる点において、借家人保護を目的とする同法の精神に反することとなるから、そのような申出によって、解約申入の正当性を補強することを認めることはできないと判示した。しかしながら、借家法所定の解約申入期間を延長することは何ら賃借人に不利をもたらすものでなく、解約申入についての正当事由があるかどうかを判断するにあたり、解約申入期間を延長することをも判断の一資料に加えることは、移転料の提供や代りの家屋の賃貸及び引渡の提供を、正当の事由があるかどうかの資料とすることができるのと同様であって、必ずしも解約申入についての正当事由を借家法の予想しているそれよりも軽減する結果となるものと断定することはできない。原判決が解約申入期間延長の申出のようなものは、解約申入の正当性を補強する事由とすることができないと判断したのは正当でない。

しかしながら、原判決理由二、(4)(イ)(ロ)(ハ)(5)(ロ)に認定したような事実がある以上、たとえ上告人の主張するように解約申入期間を昭和三九年七月末日又は昭和四〇年の七月末日まで延長するとしても、解約申入に正当事由があるとするに足りないことに変りはないと解するのを相当とする。したがって、解約申入期間延長の申出があっても解約申入の正当性を補強する事由とならないとした原判決の判断は結局正当であるから、原判決には借家法第一条の二の法令の解釈を誤った法令の違背はなく、論旨は採用できない。

そこで民訴法第四〇一条、第九五条、第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 熊野啓五郎 判事 斎藤平伍 兼子徹夫)

<以下省略>

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